35人目 前編

白衣に身に包んだ髭面の男が椅子に座って喋っている。
ここは何処かの会議室か何かか。
硬材で作られた信じられない位大きい会議用の机の向こう側にその男が座っている。
分厚い資料を見ながら身振り手振りで何かを一生懸命言っているようだったが、何を言っているのか判らなかった。
当たり前だ。
朝、起き抜けに叩き起こされた上に見知らぬ人間から早口で話し掛けられたら誰だってそうなる。

「なあ。」
「と、云う訳だ。そこの所を教えてくれないか?……聞いてるのか?」
「聞いてないよ。」
「何?」
「悪いけどコーヒーか何か無いかな。
朝置きぬけに何の理由も知らされずに数人掛かりでアパートから連れ出され、
車に乗せられた上にこんな訳の判らない所に連れ込まれたんだ。」

俺がそう言うと髭面で白衣のその男は目を丸く見開いた。
「…ああ、ああ。これは気が付かなかった。すまないな。すぐ持ってくる。」
そう悪い男でもないらしい。これは気が付かなかったな。
などと言いながら手元にあった電話の受話器を持ち上げて何処かにダイアルしている。

「ああ、ああ、私だ。すぐにコーヒーか何かを持ってきてくれ。ん?ああ。ちょっと待て。
エスプレッソでいいかな?」
「ああ、何だっていいよ。」
椅子の背もたれに背中を預けると信じられないくらいに体が沈み込む。
絨毯もやたらと毛が長い。しっかり体重を乗せたら足首くらいまで埋まりそうだ。

「ああ、それでいい。後何か口に入れるようなものも幾つか持ってきてくれ。
彼は朝食も取っていないようだからな。」

「お前らが浚ってきたんだろうが。」

「ん。ああ、そうだ。よろしく頼む。……ちょっと待て。コーヒーは和歌葉に持ってこさせろ。ああ。よろしく頼む。」

髭面で白衣の男は受話器を置くとこちらに笑いかけてきた。
細面の顔に年齢は50歳位だろうか。如何にも学者然としている。

「すぐに持ってこさせる。気が利かなくてすまないな。」
「なあ、いったいここは何処なんだ?何で俺はこんな所にいるんだ?
俺は大学生で今日は授業だってあるんだ。」
そう言うと髭面で白衣の男は俺の話を聞いていないかのようににこにこと笑った。

「そうだ、自己紹介もまだだったな。梅原君。私は山田という。
当研究所のチーフマネージャーをやっている。よろしく頼む。」
「俺の質問に答えてくれよ山田さん。」
山田と名乗ったその男が突き出してきた手を突っぱね返すようにそう言うと山田は眉毛を一度だけ上げた。

「大体の事情は梅原君がここに来るまでの間に説明があったと思うが。」
「今日朝起きて目を開けたらスキンヘッドのごついゴリラが2匹、ベッドの上で俺の事を見下ろしてたんだ。
今までの素晴らしい俺の人生の中でも最高の目覚めって奴だ。
首を回すと長髪の男もいて、そいつは何故か知らんが俺のゴミ箱をひっくり返して何かしてやがる。
ベッドから起き上がりつつ何だ手前らと言うとゴリラの一匹が喋った。カルチャーショックだったよ。
知ってたか?ゴリラって日本語喋れるんだ。今度動物園に行ったら是非喋りかけてみる事をお勧めするね。
まあさておき俺の名前を確認しやがったそのゴリラに如何にも俺の名前はその通りだが、君達は誰だね?
という事を至極丁寧に聞いてやったら問答無用で部屋から引きずり出されて目隠しをされ、
車に乗せられてここまでつれてこられたってわけだ。説明なんかあるか。誰だお前。」

俺がそこまで一気に言うと山田は頷きながら椅子に座った。
手のひらを上にしながら椅子に座るように促す山田の仕草に合わせて椅子に腰を掛ける。
「多少の行き違いがあったみたいだな。私は丁重に君の意思を確認した上でここに招いて欲しいと頼んだんだが。」
「どこの動物園に頼んだんだか知らないが丁重って態度とは程遠かったな。」

「まあ、それはお詫びするとして、コーヒーと朝食が来るまで
まずここに来てもらった理由について話をしようか。」

なんだかマイペースな奴だ。そう思いながら椅子に掛けなおす。
人手不足だかなんだか知らないがゴリラの力を借りてまで俺を連れてきたいってのはどんな理由だ。

「まず聞きたいが君はマスターベーションをしているね?」
はあ、と息を吐く。
「朝も早くから何が聞きたいんだ?馬鹿かあんた。」

「至極真面目な話だよ。梅原君。答えてもらいたいな。」
「残念ながらしてるよ。今、恋人がいないもんでね。だからなんだ?
20そこそこの男なら誰だってしてるだろう?」

「そうだな。誰だってしている。だが君はマスターベーションの際、精液を出しているね。」
俺は黙った。

「政府の通達は君も知ってい」
「あの訳のわからねえ病気が流行った後、精液が生産されている男がいたら出て来い。だろ?」
「そうだ。」

俺は椅子に座りなおした。トントンと指でテーブルを叩く。落ち着け。
「黙ってた訳じゃねえよ。大体精液が生産されなくなったとか言ったって出てる奴はいる訳だろ?」

「何故か子供を作れない精液がね。一時期は大分詐欺が流行ったものだよ。」
正常に精液が出る男だって言って女を騙すんだそうだ。そう言って山田は薄く笑った。

「それは俺も雑誌で読んだ。俺だってそういう特殊なパターンの奴らの一人ってだけだろうよ。」
「君の精液は正常だよ。」
「何?」

「まあ細かく言えば【少なくとも正常と思われる。】っていう段階だがね。」
「なんでそんな事が」

「政府は必死なんだよ。政府だけじゃない。世界がと言い換えてもいい。
このままじゃ人類が滅亡するんだ。そりゃ必死にもなる。子供が作れないんだ。
これはもう核戦争っていうレベルじゃない。
もはやどうなろうと人類が衰退するのは間違いない。しかし我々は滅亡は避けたいと考えている。
これは極秘情報だが君には正直に言おう。各国政府が血眼になって探しても
正常な精液を生産できる人間は現在世界で34人しか確認されていない。
全人口の0.00000000005%だ。内訳は白人系が20人、黒人系が9人、アラブ系が3人、アジア系が2人。
我々は君が35人目だと信じている。しかも日本人で始めての発見者だ。」

「どうやってそんな事調べ」
「政府は必死なんだよ。全てをこれに掛けているんだ。
この施設の年間予算は公表してある分だけで今年3兆円を超えた。
日本全国に散らばった調査員が地域の噂話ですら入念に丹念に調査する位には潤沢なんだ。」

「……」
「1ヶ月ほど前、君は大学の飲み会で君の知らない女と出会っただろう?」
宙を仰ぐ。
「まさか、嘘だろ?」
「君の前の彼女と言う人物が君が精液を生産できる人間だと言っていたという噂話が私達の耳に入ったんだ。
我々は彼女を招いて色々と話を聞いた。
そして最近多い詐欺話を全て差し引いたその残りの信頼できるケースの中でも
君に関する情報は特に最も信頼性が高いと判断されたんだ。
まあそう苦い顔をしないでくれ。全エージェントの中で最高の美人を君の為に用意したんだぞ。
彼女はほんの数ヶ月前に結婚したばかりの人妻だが政府の為に快く協力してくれたんだ。」

「ああ、嘘だ、嘘だろ。」
俺はこの1ヶ月というもの飲み会で出会った自分より僅かに年上というその女に恋をしていた。そりゃそうだ。
売れっ子のアイドルかどこかのモデルと言われても全くおかしくないような美人だった。
飲み会の席に着いたとき向かい側に座ったのが彼女で、彼女は俺に微笑みかけてくれた。
最高の笑顔で、俺は一目で恋に落ちた。
これから一生添い遂げてもいい運命の女だと胸のときめきが教えてくれた。
その日は二人で最高に盛り上がり、そしてベッドでも彼女は最高だった。
彼女は朝になると消えていて、教えてもらった電話番号は嘘だったが、俺は確信していた。
彼女とはいつかまた会えるに違いないと。

「これだろ?」
そう言って山田が分厚い資料の中から1枚の写真を手渡す。
そこにはシックなスーツを着こなして仕事向けの笑顔を浮かべた彼女の姿があった。
ああ、こんな形で会いたくは無かった。

思わず両手で顔を覆う。
「ああ、嘘だ。神様、そんな。酷い。」
「君はキリスト教徒なのか?」
「ばあちゃんがそうだったんだよ。くそっ。マジかよ。」

「しかし君はSEXが中々上手いな。うちの若いエージェントも感心していた。」
「見 て た の か!?」
「ああ、勿論だ。君がきちんと射精しているかどうか確認しないといけないからな。
あのラブホテルには全部で50箇所以上の場所に高性能カメラを仕掛けてあった。
ベッドは言うに及ばず、廊下から風呂場、トイレに至るまで全てだ。
特にベッドは20個を超えるカメラであらゆる方向から監視されていた。」

「人権って言葉知ってるか?」
「知っているし最大限尊重したいとも思っているし憲法のその部分で良ければ何なら全て今諳んじてみてもいい。
それに君の言いたい事は重々良く判っているつもりだし
もし私が同じ事をされたら自分が傷つくだろう事も判っている。私はピュアだからね。
だがしかし、この事は公共の福祉に関わる事なんだ。しかも最大級のね。」

「信じられねえ。」
「まあそう言うな。彼女は最大限自分の仕事を果たしてくれた。そして君もね。」
そう言ってから山田はあろう事か俺にウインクをしてきた。
「彼女の旦那も同じエージェントだ。
この計画にはかなりの抵抗感を示していたが彼は旺盛な愛国心と仕事への責任感からこの難局を乗り切ろうとしていた。
そのビデオは私を含めた幹部が確認した後、現場のエージェントも不審点が無いかどうか確認する予定だったが
最終的に彼女の旦那はそのメンバーから外された。理由は判るだろう?
余分な成分が混ざるのを恐れて彼女には絶対にフェラチオをするなと言っていたんだが
2度目以降、彼女はとても情熱的に君のものを口にしていたからね。
部下の家庭内争議は私達もゴメンだという事だ。」

本当に全部見られている。彼女が俺のものを右手でしごきながら舐め回していた時の事を思い出して、
自分の顔が赤く染まるのを感じる。

「な、な、な」

「そういう訳で我々は君の精液を手に入れ、そして入念に検査した。
正常と思われると云う判定が出たのは3日前だ。
勿論彼女の唾液の成分が混じっているだろう物でも正常の判定がなされたよ。
その報せを受けた時の我々の大騒ぎぶりはきっと君に話しても信じてもらえないだろうな。
昼の11時だったが全部門で乾杯の缶ビールが開かれ、書類が宙を舞い、皆が互いに抱き合った。
感極まって泣き出したエージェントも多数いたし、早速盗撮した君の写真を机に飾る奴も出た。
30分後には官房長官から、2時間後には総理から電話が入ってわざわざ俺にまで激励の言葉を下さった。」

山田が自慢げにそこまで話した時、ドアがノックされた。
山田はその時には立ち上がって手を振り回しながら話していたが、ノックの音に口を閉じた。
「さて、コーヒーが入ったようだ。続きはコーヒーを飲みながらにしよう。」
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by obtaining | 2008-06-12 13:42 | document

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