Two Beds and a Tea Machine

むしむしとした店の中、開け放してある古びたドアから入り込んでくる風がひんやりと涼しく感じられる。
いつの間にか若葉の季節が来ているのだなと思う。
梅雨が明ければ、夏が来るのだろう。

「で、それでどうなったんだ?」
と、俺が勢い込んでそう言うと、初老の男は胡乱な目つきでこちらを見やってきた。
手に持ったブランデーのグラスをくぴりと傾ける仕草が堂に入っている。

「どうってなにがだ?」
「そんなもの決まってるだろう。その二人さ。男の方は逃げたんだろう?」

「ああ、逃げた。逃げるつもりだった。」
「逃げるつもり?」

ふうと溜息をつくと、初老の男は空になったグラスをカウンターに置いた。
目ざとくそれを見つけた女主人であろう老婆がよたよたと受け取りに行く。
老婆は座りが悪いのか、もごもごと入れ歯を直しているし腰も曲がっている。
老婆といっても60や70の並みの老婆ではない。100歳位にはなっているような気がする。
詳しい年齢など判らないがまあ、相当なものだ。

「男はな。逃げられなかった。」
男は苦渋の表情を浮かべながらそう囁いた。
その瞬間老婆がふぇっふぇっという奇妙な笑い声を上げる。

「どういうことだよ。」
「捕まったんだよ。行きつけの飲み屋で飲んだくれているところを。」
「なあんだ。逃げなかったのか。」
なさけねえ男だなあ。と呟くと初老の男は不愉快そうな顔をしてギロリと睨み付けてきた。

「そうはいうけどな。お前はもしそういう時に逃げていけるところでもあるのか?」
「そんなもん電車でも船にでも飛行機にでも乗ってどっかいっちまえば良いじゃねえか。」
北に南に行く所なんてどこにでもあるだろう?

「民間人が乗れる飛行機なぞなかった。汽車を使ったってどこ行くんだ?北か?南か?」
「そんなもんわかんねえけど。北と南に長いんだしどっちかだろうな。」
「そんなことじゃいざ逃げる時もわからないんだよ。」
「いざ逃げますって時になったら思いつくだろうよ。」
「いざそうなると、それこそ思いつかないんだよ」
男は両手を竦めておどけた様に言うと、くるりと体ごとこちらに向き直ってきた。

「文句ばっかり言いやがって。お前があれじゃないか。
 どこぞの大企業の娘だっけ?
 それに好かれてるんだけど俺なんかとかうじうじとしてやがるから話をしてやったんじゃねえか。」
話さなきゃよかった。といって男は眉を上げながらまたブランデーを口に含んだ。

「そりゃありがてえけど、捕まったんじゃあんまり参考にならねえよなあ。
 上手くあいつの心を傷つけないで、俺なんかと付き合ったってしょうがねえってそう思ってもらえるような、そういう話なら参考にもなるけどよ。」

「あのな、いつの時代でもお嬢様とかああいった人種は筋金入りなんだ。
 まずもってこうと決めたら諦めを知らない。世間の常識が通用しない。
 そんな上手くいくわけがない。」

「そうかあ?頭いいんだからよ、上手く言えば判って貰えるんじゃねえかな。
 俺馬鹿だから上手く言えないけどさ。」

「頭が良いから困るんだよ。生半可な常識論じゃ通用しないからな。」

男が諦めたようにそう言ったその瞬間、店の扉がカランと開いた。
店には不釣合いな壮年の女がつかつかと入ってくる。
髪の毛にはちらほらと白髪が混じりかけているが
色白で小柄な所といい顔つきといい若い頃はさぞかしと思われるような女だ。
正直この飲み屋には不釣合いといっていい。
その割りに常連と気軽に挨拶なんかをしている。

女は迷うことなく男の隣に座って俺に向かってにっこりと笑いかけると
「おばあちゃん。いつもの下さいな。外はすっごく寒くって。
 こういう時はここのリプトンに限るわ。」
と言った。

男は黙って嬉しそうにブランデーを煽っている。
もう何も話す気は無さそうだった。

@@

いつの間にか男は女の肩を抱いて仲睦まじそうに何事かを話している。
女の方がなんだか拗ねたような口調で話すと
「判った判った。今度歌舞伎にでも連れて行ってやろう。久しぶりに。な。」
などと囁き、女は女で
「口先だけでは嫌です。お酒を飲んでいるときのあなたは信用できませんから。」
などと言ってふんと顔を逸らすが、肩は抱かれたままだ。

お暑い事だ。白けてしまった。
しかしなんだか絵になっている。常連たちも冷やかすでなく当たり前のようにその光景を受け入れている。
すっかり酔いも覚めてしまった。
随分と長い事話をしていたような気がする。

もういい時間だ。
もう話す事はないだろう。
立ち上がり、コートを羽織りながら男の背中に声を掛ける。

「じゃあな。参考にならなかったけど、話は面白かったよ。」

「おお、又来るといい。」
男は前を向きながら手を振る。

だが婆さんに金を払い、歩き出した瞬間ふとある事が気にかかって
俺は振り返って男に声を掛けた。
「なあ、最後に聞きたいんだけどさ。で、その男はどうなったんだ?」

「ん?」
男は振り返った。

「その話だよ。お嬢様に捕まって、その男は一緒に逃げたのか?それとも元の場所に2人で戻ったのかよ。」

「・・・」
俺の問いに男はしばらく考えて、そして言った。

「どっちだろうな。どっちでも構わないんじゃないかな。必要か?それって。」
「・・・必要っつうか気になるってだけだけどな。」

「必要じゃないだろ。お前には。どっちでも同じだ。」
男は勝手にそういうと、もう話はないとばかりに女の方に顔を向けた。
もう話は終わりという事らしい。

ドアへと向かう途中、後ろから聞こえてくる二人の声を聞きながら
ふと俺はこんな事を想像した。


何十年か前の、こんな風景だ。


季節はいつだろう。きっと春だろうと思う。
夜中にお嬢様風の若くて美しい女が、青年に肩を貸しているのだ。
青年は泥酔状態でふらふらだ。
彼女は青年を支えきれなくて何度も、何度もよろめく。
二人はよろめきながら細い道を歩く。
満開から少し散った夜桜が風に揺れている。
道には薄い桃色の散った桜が絨毯のように敷き詰められている。

ふらふらと二人は歩き、そして遂に支えきれなくなった彼女は桜の木の下で息をつくのだ。

道には二人の他には誰一人いない。
かすかにどこからか川のせせらぎが聞こえてくる。

「君の事を、いつも想っていた。」
視線は合わせられない。けれども少しだけ背筋を伸ばして。
だらしなく桜の木に背中を預け、その青年は誰にも言わなかった、
そしてその人に言ってはいけなかった言葉を呟く。

彼女の手が、青年の腰に掛かる。
ゆっくりともう片方の手が握られる。
二人の肩に桜の花が舞い落ちてくる。

「だったら星の彼方になんて行っちゃ駄目よ。これからも一緒にいなくっちゃ。」
青年は子供のように俯く。
二人は手を繋いで、ゆっくりと坂を下っていく。
彼女は全部許したような顔で、にっこりと笑う。

その二人は、その後、長い時間を掛けて当たり前みたいな苦労をして
そして将来、なんでもない事のようにこう言うのだろう。

大変?
大変だったに決まっているじゃないか。
苦労の無い恋愛なんて恋愛じゃない。
恋愛ってのはな、砂糖を入れた紅茶のように甘いだけのものじゃ無いんだ。
かといって甘くないわけじゃないぞ。甘みがあって、香りだって素晴らしい。

きっとそれはたっぷり砂糖を入れた紅茶とブランデーを半々に足しこんだような、そんなものだ。
口に入れると奇妙な味で、甘かったり苦かったり、一度口にしたら二度と飲むものかと思ったりする。
それでいて又、逃れがたい香りに引き寄せられるんだ。

好きな人に苦労なんて誰もさせたくない。
誰もしたくない。
苦労話なんて聞きたくもないだろう?
でも。それでもだ。苦労とそれが、半分ぐらい混ざっているんだとしたら。

お前ならどうする?
って。


@@

私は、私はこう思う。
あなたが星の彼方に行る私の所に手を差し伸べてくれるのなら。
手の届く所にいてくれるのなら。
こんな酔っ払いと困難を共に乗り越えてくれるのなら。
苦労を掛けるけど。
私はあなたに恥ずかしい思いをさせないように努力をする。そんな事しか言えないけれど。
これからずっと、いつまでも、いつまでも。
誰かが私達を笑いものにしなくなってもずっと。

人は言う。
身分の差、というのは越えられない壁なのだと。

そして残念ながら身分の差というものが存在する事を私は知っている。
民主主義だのなんだの言ったって世の中にはそれが未だにある。残念な事に。
人は絶対に人との間に壁を作ってしまう。
持っているお金がほんの少し違うだけで。
住んでる場所が500m離れてるだけで。
それが人と言うものなら仕方の無い事なのだろう。
歴史的に、常に人の前に立ちはだかってきた高い壁だ。

しかし、気づかせてくれたあなたに懸けても私はこれだけは言える。

春の日差しの中で、あなたと見る夢が同じであるという事を。
共に飲む昼下がりの紅茶の香りをあなたと私が同じように感じている事を。
こちらを見て微笑むあなたの美しさがいつまでも変わらない事を。

誰かと共にいたいという気持ちさえあれば、そこに越えられない壁なんてものはないのだ。



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by obtaining | 2007-09-17 13:43 | document

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