琥珀

<琥珀>

身分の差、というのは越えられない壁なのだ。と人は言う。
ある人は匂いが違うのだ、と言う。
ある人は色が違うのだ、と言う。
そしてある人は血が違うのだ、と言う。

私にとってはどれも違うように感じられてならない。
確かに色も、匂いも、そして血も違うのかもしれない。
しかしそれらの意見は私にはどうにも強引に感じられてしまう。
何か他の主義主張を伝えたいばかりに発せられるその、言い訳めいた感触を感じるのだ。

私にとって身分の差、とは色や匂いや血ではない。
なんというかそれよりも如何ともしがたい住む場所の差。のような気がする。

身分の違いとは多分こういう事だ。
それは例えば、そうだな。

私にとって週末の酒場で当代人気の作家の文庫を広げながらブランデーを一杯飲む、ささやかな楽しみな一時が
彼女にとって紅茶を持って屋敷の図書室に向かう一時だという違いのような、そういうものだ。
ブランデーに砂糖を溶かしても、紅茶にはならない。
そう、身分の差とは彼女の好きな琥珀色の紅茶と、
私がささやかな楽しみにしている琥珀色のブランデーがまったく違うような。
同じ色で、一見同じに見えても中身はまったく違う、そういったものだ。。

酒場で身分についての下品な冗談が飛び交うとき、私は時々こんな自説を披露する。
日に焼けた俺らとお坊ちゃまお嬢様じゃ色から違うじゃねえかなどと混ぜっ返される事もあるが、
大抵ふんふんと真面目に聞いてもらえる。
案外皆、そういうふうに思っているのかもしれない。

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「困ったわね。」
ふう、と息を吐きながら手元の紅茶を引き寄せ、お嬢様は長い長い睫を伏せるようにした。
お嬢様は紅茶に砂糖を三杯も入れる。
舶来から取り寄せたという真っ白なその砂糖の塊は紅茶に溶けても、綺麗な紅茶の琥珀色を失わせはしない。

「困りましたね。」
私も声を返す。

「怒られるわ。」

「殺されますね。」
私の言葉にお嬢様は驚いたように顔を素早くこちらに向けた。
何事にもゆっくり、一挙一動まで使用人とはまた違った意味でルールに縛られているお嬢様にとっては珍しい動きだ。
まあ育ちの良さがお嬢様から活発さを奪っているけとは言え、
元来がお転婆な彼女は気楽な時間には節々にこういった表情を見せる。

「まさか。」

「まさかではありません。旦那様のお留守の間に、お嬢様をお守りできなかった。使用人としては万死に値します。
聡明な旦那様は帰宅し、お嬢様から事の次第を把握した瞬間、
机の中に大事にしまわれているあの大戦時代、野蛮な敵国の兵隊達を何百人と屠ったという拳銃で私の眉間を」

「ちょちょ・・・ちょっとやめてよ。」

「やめません。旦那様はきっとこう言われるでしょう。『おまえなど、拾ったのが間違いだった。この恩知らずめ!』と。
そして跪き、許しを請う私の頭に拳銃の照準を合わせて、」

「わかった!わかったわよ!ストップ!あなたの例え話は心臓に悪いわ。」
ぶんぶんと両腕を振り回しながらお嬢様は私の話を遮った。

「では、私の提案を受け入れてもらえるのですか?」

「それも嫌よ。」

「あれも嫌、これも嫌ではいけません。」
鉄のような私の言葉にお嬢様はキッと私の事を睨みつけた後、いかにも名案を思いついたという風に指を微かに揺らせた。
薄く巻いた洋風の髪が指の動きと同じだけ揺れて。
私はお嬢様はとても綺麗だ、と毎日何度もそう思うのだけれど、又そう思った。

「その代わり、こういう提案はどうかしら。内緒にするの。」
いかにも名案を思いついた。と言う風に自慢げに指を揺らすお嬢様は、とても愛らしく見える。

「内緒に。ですか。」
一仕事を終えたように又紅茶に指を伸ばすお嬢様に重ねて問い直す。

「そうよ。それであなたが殺される心配もないし、私も怒られずに済むわ。」

「しかし、お嬢様に隠し通せますかね。」

「あら、あなたは私の事を見くびっているわ。私に隠し通せない事なんて、一つもないもの。」

「しかし、先週お稽古事をサボって買い物に出かけた事はほんの数時間でばれましたが。」

「あれはあなたがのそのそとしていて壁を乗り越えるのに時間が掛かったからじゃない。」

「その前に教師の方に風邪を引いたと嘘を吐き、旦那様に今日はお休みだと嘘を吐いたお嬢様に問題が。」
むむむ、と2人で睨み合う。
しばし睨み合った後、お嬢様はまあ、あれは私も悪かったけど。と呟きながらついと視線をそらした。
そして、いつもの悪戯めいた睨み方ではない、少し悲しそうな瞳でお嬢様は私に声を掛けてきた。

「じゃあ、あなたが言うとおり、私は忘れた方が良いって言うの?」

「はい。」
一瞬の間もおかず、即答する。

「私は良くわからないわ。あなたは毎週、こっそりと酒場にお酒を飲みに行くし世界の事を沢山知っているのかもしれない。」

「そんな事はありません。」
酒場で世界の全てが判れば苦労などいらない。あそこは何も得る事などできない、逃げ場所でしかない。

「私は狭い世界しか知らなかったし、これからだって自由に羽ばたく事はできないかもしれない。
 私が何にも知らない事を私は知ってる。でもこれだけは私にだって判るわ。あなたが好きなの。だから私は今日、」

「それは近くに私しかいなかったからです。」

「小さい頃からずっと一緒にいて、好きになった。それでいいじゃない。近くも遠くも関係ないわ。」
私は溜息を吐いて、書架の中央にある、分厚い辞書を取り出す。
そしてその辞書を開くと、中に隠しておいた,
まさかお嬢様の説得用に使う羽目になるとは考えてもいなかったとっておきのブランデーの小瓶を取り出した。

「お忘れ下さい。お嬢様は、いつか素敵な男性と巡り会います。良いですか、私とお嬢様では身分が違うのです。
これを見てください。お嬢様が飲んでいる紅茶と、ブランデー。色は同じですが、中身は全く」
その瞬間、私の言葉は私の手元から無言でブランデーの小瓶をひったくったお嬢様に遮られた。

お嬢様は私の手元からひったくった勢いのまま、小瓶を開けると、ポットにダバダバと中身をあけた
その後、たっぷりと高級ブランデーの入ったポットから手元のティーカップに毀れんばかりの勢いで注ぐ。

「私は欧米人じゃないの。キスなんて一大事、絶対に忘れないわ。私は絶対にあなたにキスをした事、忘れないもの。
 いつか素敵な男性と巡り会うのなら私はもう巡り会ってる。その点だけは私は私の幸運を信じます。
 色が同じなら、中身も似たようなものよ。混ぜてしまえば良いのよ。」

「お嬢様、それを飲んではいけません。」
あまりの事に固い声で止める私をきっと睨み付けるとお嬢様は宣言するようになみなみと注がれたカップを口の前まで持ち上げた。

「本日、お父様がご帰宅されしだい、あなたとキスをした事を報告します。」

「カップを下ろしてください。それからその事に関してはせめてお嬢様からという事を始めに」

「紅茶もブランデーも混ぜてしまえば一緒よ。だって色が一緒だもの。
私はあなたが好きだし、お父様に拳銃なんて出させないわ。」

私はあなたが好き。
お嬢様は何度か繰り返すようにそういうと、ふんと顔を逸らしてカップの中の紅茶を思いっきり口に含んで、



---ばったりと倒れた。



  
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by obtaining | 2006-02-14 08:22 | document

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