1.5M

<1.5M>

洗い髪が芯まで凍えるくらいに寒い。

冬の風呂は脱衣所が地獄、湯船が天国である。
脱衣所は極寒であり、湯船は暖かい。ブルブルと震えながら服を脱ぎ、
湯船に浸かった時の幸福感は何物にも変えがたい。
同級生の中には「俺はシャワーだけだぜ」などとなんだか格好が良いのか悪いのかよくわからないことを自慢する奴もいるが正直信じられない。
風呂に入ると言う事は体を綺麗にすると言う事よりも寧ろ湯船で温まる事の方が本義であると堅く信ずる自分にとっては到底受け入れられない考えだ。
しかしそんな幸せな冬の風呂にも問題はある。

湯船から脱衣所を通って部屋に戻らなければならないと言う事だ。
我が家の脱衣所は狭く、ストーブを置くスペースなどない。
第一、服を脱ぎ散らかしながら湯船に飛び込む事が多いから危ない。
入るときは良い。その先には湯船が待っているから。
しかし出るときは辛い。
その先に湯船はなく、芯まで冷えている脱衣所に置きっぱなしの冷え切った服を着なくてはならない。


結局ぶるぶると震えながら風呂から上がってタオルでごしごしと頭をこすりながら部屋に戻る羽目になる。
そして部屋に入ってもそこは極寒の地だ。
脱衣所のあまりの寒さにきちんとふき取らずに着た為、肌に吸い付いてくるTシャツの上に上着を羽織って当座の寒さを凌ぎつつ石油温風ヒーターのスイッチを付けながら毎回毎回絶望的な気持ちになる。
この石油温風ヒーター、5秒で部屋をポカポカに。という謳い文句で宣伝していた物なのだが実際使ってみるとスイッチが起動するまでに5分もかかるポンコツである。点いてから熱風が出るまでに更に5分かかる。
寒さに震えながらの5分は長い。ベッドに行っても冷え切ったシーツに体温を吸い取られるだけだし、結局はヒーターが点くまでの5分間もの間ヒーターの前で手足をすり合わせた間抜けな格好で待つ羽目になる。冬になる度に蹴飛ばしたくなるヒーターである。

そうかといって風呂に入る前からヒーターを付けっぱなしにするのも嫌だった。
そんな事はないのだろうが、性格的になんとなく石油がもったいないだとか火事が心配だとか思ってしまうのだ。

そう。

今日もそうやって震えながら、カーテンが開いているなと少し思って閉めようと窓の方へと向かったのだ。

その時少し嫌な予感はした。
閉めていないカーテン。夜の7時。2階の窓。条件はそろっている。向こうも風呂から上がる時間帯だ。
その予感が何か思い至らないまま、ゆっくりとカーテンを閉めようとして思わず窓から向こうを見る。

━━━そして、案の定やっぱり窓の向こうにいた京子を見つけた。


窓の向こうと言っても空中に浮かんでいるわけではない。
窓と窓との距離,僅かに1.5M。隣の家である。
どちらかというと白と黒と青の寒色が基調の俺の部屋に比べてあちらの部屋はオレンジ、赤と見た目だけで暖かそうに見える。
京子がパジャマ一枚で寒そうにもせず此方を見ているということは京子の部屋はポカポカに暖かいのだろう。
京子のパジャマの胸元は豊かに膨らんでいて部屋にいる気楽さからか上のボタンは外れている。
そのボタンの隙間から真っ白な肌が見えて思わず目を逸らす。
どちらかというと凛とした空気の京子は学校ではそんな隙を絶対に見せないが、家にいるときは結構気を抜いた格好をしていたりする。
最近カーテンの隙間や開いた窓から垣間見えるそういうギャップにドギマギする事が良くあった。

そんな不埒な事を考えながら何故だか鼻に黒いのをくっつけてぼんやりとこちらの窓を見ていた京子の顔を見返す。
と、京子の顔が驚愕に変わった。しまったと思ってももう遅い。
スローモーションのように見える素早さで、机の上の携帯電話を引っつかむのが見える。
一瞬の後に携帯が鳴り響いて

「なにやってんの?」
電話からは声が、窓の外を見るとこちらをびっくりしたように見ている京子の顔が見える。

気まずい思いのまま、声を返した。
「お前こそ何やってんだ。」

「?私は部屋にいるだけじゃない。」

「なんか鼻についてるぞ。」
あわてて顔に手をやった京子が、ハッと気づいたような顔になって慌てて左手で鼻から下を覆う。
京子が動くたびに思ったよりも育っている胸が揺れるのが見えてどちらかというと胸元を隠したほうがいいんじゃないかとも思うけれど
京子自身はそれには気づいていないようにこちらを見ている。


「は、鼻パックよ。文句ある?」

「ないけど。」

軽い応酬をした後、片手で器用に鼻と口を覆った格好の京子は眉を潜めながらゆっくりと口を開いた。
「由香ちゃんだっけ?あの娘は?」
最小限の言葉に全てを込めているような口調で聞いてくる。
声に出ているのは「由香ちゃんだっけ?あの娘は?」だが、実際の意味は
「あなたは12月24日の今日、なんで家にいるの?普通彼女のいる世の男性はプレゼント抱えてにやけ面で時計台の下とかで待ち合わせしてるんじゃないの?それで七面鳥とか食べて夜中まで歌い踊った挙句、プレゼント交換とか言って指輪とマフラーの物々交換をしたりするんじゃないの?それをあなたは彼女である由香ちゃんとしないの?」
である。

それに対して観念しつつ最小限の言葉に全てを込めつつ答える。
「別れた。すまん。お前の言うとおりだった。」
はあ。とあきらめたような声を出す京子に言葉を返す。
「お前は?」
「彼氏いないし。」
作らないくせに。と言いかけたのだけれど、何故だか言葉にならない。

諦めたような声を出す京子の態度には訳がある。
「別れた。」の一言の実際の意味は京子の3行で済むものとは違う。
一言で言えば「駄目だった。」であるのだけれど詳しく話そうとするともっとある。
大げさに言えばそれは今までの俺の半生全てだからだ。


@@

実は女性と上手くいかないのだ。
学生が何を生意気なと言われるかもしれないけれど所謂そういうアダルツな意味ではない。
というかそれ以前の問題だ。
女性とまともに話ができないのだ。緊張症の気があるのか二人きりになるとどうしてもしどろもどろになってしまう。
そもそも何を話して良いかわからない。顔も真っ赤になる。背中に嫌な汗が伝い、膝がガクガクとして腰に力が入らなくなる。
目を見て語り合うなど夢の話だ。常に接続詞をさがしてあーとかえーとかいう言葉が止め処なく出る。
幼稚園の時からそうなのだからもはやこれは先天的なものなのだろう。
まともに話を出来るのは目の前にいる京子くらいでそれだって幼馴染だという理由だからだと思う。

小学校に入った時は最悪だった。
机をぴったりとくっつけるとあからさまに体中が震え、体育の後に汗のにおいを嗅いだ時には眩暈を起こした。
京子が隣の席にだといいのだけれど、そうでないと一日中背筋が伸びてずっと緊張状態に陥る。
入学3日で事情がばれて、結局なんとなく小学校一年生の一学期で俺の隣は京子だという風に決まってしまった。

因みに小学校のクラス分けは公正じゃない。先生が決める事だからどうにでもしてしまうのだ。
当然のように6年間京子と一緒のクラスにさせられた上に更に京子も別段異議を唱えない物だからコンプレックスは直らないまま成長していく事となった。
つまりずっと隣の席である。他の女の子のことは記憶にも殆どない。ついでに書くと中学もそうなった。高校もそれに近い。
徐々に慣れてきて今では女の子が近くにいるだけで緊張する事はなくなったけれど相変わらず会話は殆ど出来ない。

だから俺は小学校時代に既に女性というものは自分の人生に関らないものだとして諦めをつけてしまっていた。
ずいぶん潔いじゃないかと言われるかもしれないけれどこればっかりは仕方がない。
小学生と言ったって世の中が男と女で成り立っている事くらいは知っているのだ。
映画でだってアニメのヒーローだって主人公はヒロインと恋をする。
残念ながらヒロインの汗のにおいを嗅いで倒れるヒーローは見たことがない。


小学校高学年、いわゆる男が一人で部屋で行うあれを覚えた時に又深い悩みに沈んだ時期もあったけれどもそれも時と共に過ぎた。
映画の中でヒーローがヒロインと結ばれる(キスをする)度に俺には関係ないと重い、指を咥えながら恋愛漫画を読んだ。
そして女の子と話せないその代わり、と言ってはなんだけれども俺はその分スポーツに夢中になることになった。

向かうべくして向かった当然の方向性とも言える。女の子にうつつを抜かす代わりにスポーツに励んだのだ。
道徳的に考えて傍目からは健やかかも知れないが、現実的に考えるとコンプレックスに塗れた非常に不健康な動機でもある。
とにかく俺はサッカークラブに所属して鬱憤を晴らすかのように練習に励んだ。
小学校が終わると直ぐに練習に駆けて行って、中学校でも当然のようにサッカー部に入った。
なんとなく鬼気迫るドリブルとなんだか学生らしからぬ必死な練習が目に留まったようでそこそこ上達もし、中学校1年生にしてレギュラーにもなった。

そして俺がレギュラーを掴んだその中学校1年生の時に。


---Jリーグが始まったのだ。


日本人はブームに乗りやすい国民性とか言うが言葉面だけで舐めてはいけない。その威力は予想以上だった。
サッカー部の株はうなぎ登りに上がった。
残念ながら相対的に野球部の株は下がったがそれはしょうがない。
セリーグよりJリーグの方が語感がカッコよく、松井のガッツポーズよりもカズのカズダンスの方がなんとなくカッコよく見えた。そういう時代だった。
多分それだけだと思う。

「イチローの方がカッコいいじゃないか!」
野球部キャプテンの2丁目のクリーニング屋の息子の言葉は虚しく宙に響き、
3丁目の魚屋の息子であるサッカー部のキャプテンは「俺の時代が来たな。」と思わず呟いたが、
魚屋の息子の言葉はあながち嘘でもなかったのだ。

試合をする度に学校の校庭には女生徒が集まり黄色い声を上げた。
週末の練習試合が終わった週明けには○○中学のフォワードの何々君はカッコいいだの何だのという噂がまことしやかに教室を駆け巡った。
カズや北沢や武田はモテただろうが、名のない一中学校のサッカー部にもその余波は余すところなく十二分に届いた。
なんとなく必死なプレイスタイルをかわれて一年生でありながらレギュラーであった俺にもその波が最大限に思いっきり高く被さったのだ。

痘痕も笑窪と言う。
好意的に取れば何だって良くなるという事を示す言葉だ。

コンプレックスの裏返しであった練習はストイックな努力家と評判になり、
なんとなく必死で取ったレギュラーは天才肌と写った。
女の子の前で話せない、どもる姿はカワイイ、言葉が出なくて口篭ればクール。
地域では強かったチーム事情も含めて試合には他校の女生徒まで垣根を作る始末となった。
更に波は続く。サッカーと言えば良くわからないけど誰がなんと言おうと多分フォワードだ。
しかし小学校の時に細身だからと選ばれたフォワードでもキーパーでもない中途半端なミッドフィルダーのポジションは日本に数多いミッドフィルダーの天才プレーヤーの出現と共に一気に花形となった。
なんとなく無口でろくに返事のしない態度もそういう選手となんとなく軽く被った。

勢いは怖い。
好意的に取れば何だって良いのだ。
小学校まではなんとなく変な奴であった俺の評価はここに来て完全にシャイなあんちくしょうになった。

当然全ては誤解に基づいている。Jリーグは開幕したが、田舎の学校のサッカー部には実はあんまり関係ない。
Jリーグは開幕しても俺は変わらないのだ。
いきなり手紙をもらっても困るし「○○高校にファンの子がいるんだよ(はあと)」などというメールがいきなり来ても困る。
まあそれでも、これが自分に来る最後の機会じゃなかろうかと感じたのも確かだった。

高校に入り、相変わらず京子とはなんとなく話すものの女の子とは話せないままの生活。
向こうから話したい話したいと来てくれるこの状況は非常にチャンスにうつった。
呆れ顔で数年間に及ぶ俺の大フィーバーを間近で見ていた京子にこれはコンプレックスを打破すチャンスじゃなかろうかと相談したところ
「ふーん。付き合っちゃえば?」
となんとなく投げやりに京子は言ってきた。無駄だろうけど。という一言と共に。

そんな事ない。きっと無駄ではない。多分。と半ば意地でそう思った俺はその折に交際を申し出てきていた数人の中から出来るだけ真面目そうで大人しそうで
人の話を効いてくれそうな一人を選んで交際する旨を伝えた。
顔や性格やそれ以外は2の次だった。まずは会話ができないと話にならない。
それが先程の由香という子である。

そして単純に簡潔に一言で言うと殆ど喋れずに振られたのだ。
というかあまりにもいたたまれずに自分から交際を断った。
正直何を喋ったかはおろか、あんまり顔も覚えていない。

つまりあまりにも京子の言う通りになって正直顔を合わせ辛かったと、そういう事だった。


@@

結局いつの間にか電話は切って窓は開け放し、今は御互い向き直っている。
今日中に雪になるかもしれないとの予報通り、吹き込んでくる風は身を切るほどに冷たい。
後ろを向いてペリペリと鼻パックを取った京子は窓枠にひじをついている。
つんと尖った鼻は寒さからか少し赤い。

「そっか。別れたんだ。」
かくがくしかじかと俯きながら話すと、京子はしょうがないなあという感じで肩を竦めた。

「付き合ったといえるかどうかは甚だ疑問だけどな。」

「それでも2ヶ月もったよ。」

「デートは2回。」

「え?それだけ?どこ行ったの?」

「映画と公園。公園で別れた。」

「ははは・・映画は話しないですむもんね。」

「そうなんだよ。映画の時はなんとか大丈夫と思ったんだけどなぁ。」
両手を擦り合わせる。

「サッカーくらい上手くいけばいいのにねぇ。」
そういいつつ京子はどこから取り出したのかケンタッキーのどでかいチキンバーレルを手元に取り出した。
一人で食べるつもりだったのか。と思いつつそれを振る京子に喰う。とばかりに頷く。

「サッカーも実はそんなに上手くないけどな。」

ほいっと投げられたケンタッキーはすっぽりと手の中に入った。

「飲み物は?」

「いいや。」

「そ。こんなの全部食べれないからこっち来て食べる?」

「ん。いいや。」
京子は一言で返事をしてもわかってくれるのだな。とふと思う。

「自棄食いの予定もなくなったし、半分食べて欲しいんだけど。」

「何だそりゃ。」
ぶっきらぼうに言い返す。

京子は俺の言葉に少しだけ笑って、それから少し考えるように横を向いて口を開いた。
「・・・判りづらくてもね。良いと思うよ。」

「・・・」
その一瞬の言葉に不覚にも目頭が熱くなった。
さりげなく言ったのかもしれない。
でも京子の言葉はなんだか妙に胸を抉った。

京子はなんでそんなに少ない言葉で的確に俺の事を話せるんだろう。
なんでそんなに良くわかるんだろう。
京子は賢いんだと思う。
俺は京子以外には一言も喋れないけれど、こいつはそういう俺を一言で表して判ってくれる。

そうだ。振られた事が悔しいんじゃない。
好きになれるかどうかを、好きになってもらえる資格があるかどうかを知りたくて、それで駄目だったから悲しいのだ。女の子と話も出来なくて、判りあう資格も無いっていうのが悲しいんだ。

子供の時もそうだった。お話してみようとどんなに頑張っても言葉が口から出てこないのだ。
小学校のときは話してみようと思って、それが成長して付き合ってみようになっただけで本質は昔から全然変わっていない。
付き合うどころか友達にもなれない。
これじゃあ冬に入るお風呂よりも酷い。
入るまでに凍えるような思いをして、更に湯船に浸かる事も許されないようなものだ。


「全然良くないよ。」
思わず涙声でそう言う。
どんなに考えたって俺はあんまりにも駄目で、不甲斐ないと思う。

「しょうがないなあ。」
京子は普段は笑わない癖にそうやって困ったなあという顔をして笑うと凛とした態度が崩れてふにゃっとなる。
それを見てこいつには痘痕なんて一つも無いに違いないと思った。
少なくとも俺が見る京子は笑窪ばっかりだ。

「私とお話してれば、そのうち慣れるよ。」
京子の台詞は初めて隣の席に座った小学校一年生のときから変わらない。
「ちょっと怖がりなだけだよ。」
いつもそう小さな声で付け足してきて。
そしてこっちに手を伸ばしてきて頭とか肩とかを柔らかく触ってくるのだ。

ゆっくりと窓から手を伸ばしてきた京子に向かって手を伸ばす。
窓と窓との距離は1.5M。
ちょん。と手が当たって、ゆっくりと手をつないだ。


部屋に吹きこむ風は寒くて、体の芯まで凍えそうになる。
その中で握りこんだ京子の手だけが暖かく感じられた。
部屋の後ろでは先程からようやっと動き始めたヒーターがごんごんと温風を出している。
窓を開け放したままじゃヒーターの意味がないなと思い、後ろを振り向こうとしてそれから思い直して前を向いた。


もう少しだけ。ぎゅっと手に力を入れる。


つないだ手を離すのが嫌だったから。







  
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by obtaining | 2005-12-21 13:36 | document

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