MY SWEET DOG 第1話

男爵さんによる剣シリーズ雪化粧のスピンオフ作品です。全5話。
まずはリンク先の雪化粧からどうぞ。


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MY SWEET DOG
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私は何も出来ない。

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「セレス、こっちに来て髪を梳かすのを手伝ってくれる?」

窓辺に座るコルネリア様に呼ばれて化粧品を片付けていた手を止めた。
高貴であるとはこう云う事を言うのだろう。
窓辺から外で遊ぶ子供達を眺めるコルネリア様の視線はとても優しい。

元々のコルネリア様付きのメイドではなく13歳からの7年間続けているメイド仕事の中で何人もの様々な主人の下を渡り歩いた私には、
優しい主人などというのは空を飛ぶ鯨くらいにありえないと知っている。
しかし、今、自分はその空を飛ぶ鯨を目の当たりにしているのだ。
これには正に驚愕を禁じ得ない。

窓辺のコルネリア様へと歩んでいくとはい、と櫛を手渡される。
これもあり得ない。

実際の所、主人がメイドに何かを手渡すという行為自体がまず普通であればありえ無いものだ。
何故なら主人の側で主人が不都合を感じないように何かを渡すのがメイドの仕事であるのだから、その逆の現象が起こりうる訳が無い。
実際、今までの主人の中で私に何かを手渡してきた人などこのコルネリア様を除いて一人もいなかった。
普通は何かを渡し、運ばせる必要があるのであれば、どこかに置くなり投げるなりして持っていけと言うものなのだ。

後ろに立ち櫛を通す必要があるのかしら。と思える程艶やかで滑らかな髪に櫛を通し始めるとコルネリア様が目を閉じる。
実際必要は無いのだろう。でもコルネリア様は時節こうやって私に髪を梳かせる事があった。

「ねえセレス、又あの話をしてちょうだい。」
目を閉じながらコルネリア様が口を開く。

「何のお話をしましょうか。」
「そうね、この前は何の話だったかしら。そう、ヤギの話をしていたわ。」

「ヤギですか。そうですね。ではこんな話はどうでしょう。
私が8歳位の話なんですけれど。村に夜になるとヤギを狙う狼がやってくるようになったんです。」

「狼が?・・・狼というと大きいんでしょう?」
「それは大きいですよ。村の人間が罠で捕らえた狼を見た事がありますが、
10歳の頃の私が見て自分より大きい位でしたから。
口も大きくて、牙も鋭くて、きっと生きていたら私なんかは頭から食べられてしまうに違いない、なんて考えて怖くて夜に眠れなくなってしまう位でした。」

「それは怖いわね。」
「そうなんです。特に子供を持ったメスの狼や、群れのボスなんかには、村の大人の狩人でも殺されてしまう事がある位ですから。」

「それで、そんなのがあなたの村に忍び込んでくるようになったっていう訳ね。」

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このアレイストルスという祖国から出た事もない私だけれど、今ではここが世界の中でも田舎に属している事位は判る。

しかし18歳でお城にメイドとして雇われた時にはこのお城の大きさに、石造りの組み方に、美しい絨毯に、城の中にいる大勢の人間に一々酷く驚いたものだった。
それまでの主人といえば村長の家から始まって、何人かの騎士、商人といった所が精々だったから同僚になるメイドもいたって精々が2人か3人。
それがお城では数十人のメイドがそれこそ目の回るような忙しさで走り回っているのだ。
最初の日の終わり頃には田舎者の私なんかが慣れる事が出来るのだろうか、勤まるものだろうかと随分不安になったものだ。

それが1年もしないうちにコルネリア様に気に入られてあれこれと用事を言い付けられる様になり、その頻度の多さにいつのまにかコルネリア様付きとして毎日のお側の用事を全てこなす様になれたのは通常使い捨てでしかないメイドの身としてはかなり運が良かったのだと言うしか無い。

1年前まで台所で雑巾を絞っていた私が今では王妃様付きのメイドという訳だ。
勿論吹けば飛ぶような身分ではあるけれど、メイドとしては出世の頂点に立ったと言えるのではないだろうか。
しかしその事実こそがこのアレイストルスの国が田舎である証拠でもある。
私が王妃様の側にいるという事実が。

コルネリア様付きとなって時間も出来、昔は想像にも出来なかった本を読む時間などというものも取れるようになった私はお城にある本をそれこそ片っ端から読むようになった。又、片っ端から読む必要があった。
コルネリア様は不思議な事にメイドと会話をする事を厭わない、いや寧ろ楽しむような所があってしばしば私達に問いかけてくる事があるのだ。
今でこそ慣れたが始めの頃は一々仰天したものだった。
「ねえセレス、あれ、なんて名前だったかしら。すっかり忘れてしまったの。
王国の昔のお話で、王様とお姫様が大活躍するお話。カミラが大好きなお話だったのだけれど、あなたそのお姫様の名前、知ってるかしら。」

廊下を掃除していた際にコルネリア様が通りがかり、
急にそう問いかけられた時には私に何かを聞いているのだ、と理解するまでに暫くの時間を要した。
そして理解した瞬間、いったい何を言っているのだろう、としばし呆然とした。

そんな事知っているはずが無い。私は偶々字が読めるが、それはとても珍しい事だ。
私が字を読める事など知りようも無いのにコルネリア様はそんな事はまるで関係なく私にそう問うたのだった。

今となっては他愛も無い他意のないコルネリア様らしい言葉だと思えるが、
その時はどう答えるべきか暫く考え込んだ。

つまり、当たり前の話だがメイドが主人に問われて「知らない」などとは口が裂けても答えられない。
私が何かとんでもない間違いを犯したのではないのかと思ったのだ。
つまりコルネリア様の言葉は高貴な人なりの体の良い厄介払いの言葉ではないかと考えた。
答えられないなら、自ら出て行くしかない。
お城を追い出されては行く所がなくなる私は暫し跪いて許しを請うべきかどうか考えた上、
しかしどうせ厄介払いされるならと、私は覚悟を決めて答えた。
「すぐに調べて参ります。」と。

城の書庫でメイドが何の用だと胡散臭い目を向けられながら一晩掛かりで調べた後、
寝不足の目で
「それは鈴姫様という名前では無かったでしょうか。子供用の童話で王様と鈴という話がありました。」
と報告するとコルネリア様は「そうそう、鈴姫様だったわね。思い出したわ。」
と満面に笑みを浮かべて喜んで下さった。

そんな風だから私はコルネリア様と会話をする為に大陸の地図も読んだし、
昔は自分に関係無いと云うよりは想像の埒外であった政治の事なども必死で学んだ。
そのうちにコルネリア様はそれを知りたいと言うよりも会話をしたいが為に
私に問いかけているのかもしれない、と思うようにもなり、
そして私がコルネリア様の質問に答えられなくてもコルネリア様は困りも怒りもしないと気が付いたのだけれど、
でも私は勉強を続けた。

勉強をすればするほどに色々な事は見えてきて、視界は広がっていった。
その事が楽しかったのもある。
普通のメイドならばありえないような経験が出来ている事の喜びもあった。
でも一番私を駆り立てたのはコルネリア様が私みたいなものにしか何かを問いかける事が出来ないと言う事だった。
姫君であるカミラ様との仲は睦まじいと言ってもいいものだったけれど
人に囲まれた生活を送りながらコルネリア様がほっとした顔を見せるのは
実際にカミラ様と穏やかに話される一日のうちのほんの短いひと時位だった。

それ以外の時はいつも重臣の誰かに囲まれるかもしくは一人で部屋におられる事が多く、そういった時の顔はきりりと美しいものだったけれどどこか仮面を被ったような美しさでもあった。

メイドに悪戯げに問いかける一言。そして答えた時の驚きと喜びの顔。
不遜な事かもしれないけれど、寂しそうに見える仮面のような美しさよりも無邪気な喜びの笑顔の方が私には嬉しくて、
一番側にいるものとして少しでもコルネリア様のその笑顔を多く見たいのだと、そう思って。

問われる度に調べては答え、誰かに聞いては答え、そして何冊もの本を読むうちに
時に聞かれた時にすぐに答える事が出来る事もあるようになり、
そしてそうなる頻度は徐々に徐々に増えていった。

ただのメイドだけれど、これがもし少しの、ほんの少しのコルネリア様の心の慰めになっていたら。
そう思ったのだ。

しかし知る事が全て良い事では無い事もあった。
例えばこういうことだ。
アレイストルスとスオルムとの長年続く微妙な緊張状態。
それが今ではいつ戦争に直結するか判らぬ程の複雑に絡まりあったものになっている事。重臣でありながら自分の領地からけして出て来ず、税金も納めない不気味な国境線上の幾人もの領主達。
不自然な頻度で死んでいる国王派の重臣。
平和に見えた国内のそういった不穏な情勢。
そしてそれにも拘らず城内の規律がメイドの私にも判るほど緩んでいる事。

そう云う事だ。

調べれば簡単に判る筈なのだ。
私の父がスオルム人だという事なんて。
調べずとも雇われる時に聞かれでもすれば私は隠す事も考え付かずに答えただろう。

そしてそう判ったのなら決して今の私がここにいる事はない筈で。
だからこそこの状態はきっと、とても不気味な事なのだ。
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by obtaining | 2010-06-28 15:02 | document

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