Can't repeat


正義は為される、と考えていた時期があった。
何事も悪い事をした人間が悪くて、正しい事をした人間は最後に勝利を得るのだと。
無邪気にそう考えていた事があった。
いや、そうではないか。

そう考えるのが普通なのだ。
世の中とはそうあるべきだし、そうでないなんて事があるはずがない。
その為に警察がいるのだし、その為に裁判所があって、
少なくとも法律を犯した人間は警察に捕まり、裁判に掛けられて刑務所に入れられる。
それ自身はそれこそ毎日の新聞で目にすることだ。
〇年前の殺人事件の犯人が捕まりました。〇事件の被告に懲役〇年の判決が下りました。
勿論冤罪事件なんていうあってはならない事もあるけれど。
でも普通の世の中では正義は為されているのだ。
当たり前に。
普通の事として。
だから、私の方が、普通じゃない。正しくない、筈なのだ。

筈なのだけれど・・・。
「どうぞ、そんなもの、誰にでも見せればいいじゃない。」
その一言が、私には言えなかった。

自信満々の態度。私より20Cmも高い身長。5歳年上の年齢。
事ある毎に自分はヤクザと付き合いがあるのだと
本当だか嘘だか判らないが虎の威を借りるがような事を喚き散らす乱暴な口調。
後ろでまるで女の子のするポニーテールのように括ったいつでも湿って見える不潔に纏めた長髪。
肩から腕に掛けての刺青。
分厚い筋肉質な体型。年齢の割にしわがれた低い声。
酷薄そうな眼つき。
仁科守弘というこの男に、私は逆らう事が出来なかった。

「バカじゃないの?」
と一言言えば良かったのだ。
「好きにすれば?」
と鼻で笑い飛ばせば良かったのだ。
でも私にはそれが出来なかった。

酷い話だ。私は単純に怖かったのだ。
眼の前でちらつかせられる刺青が。荒い呼吸音が。不必要に鍛え上げられた仁科の身体つきが。
その全てが単純に恐怖心を私に与えてきた。
要するに、仁科の暴力的な臭いに怯えたのだ。
正直言って、その時は必死で態度を取り付くろってはいたものの
脚はがくがくして、頭はぼんやりとしてきて、兎に角怖くて怖くて仕方がなかった。
他人を威圧する事を当たり前のように今まで繰り返してきたのだろう。
理不尽な怒鳴り声には人を竦ませ、恐怖心を抱かせるだけの迫力があった。

それ以外にも理由はある。本当に、些細な理由が。
仁科守弘といえばこの町では昔からの土地持ちの一族の親戚だ。
父の代にこの町に引っ越してきたうちの家と違って仁科といえば
町の行事の事ある所で見ることが出来る苗字だ。
例えば、町のお祭りの時には協賛:仁科工業株式会社だとか。
道の工事をやっている時に止まっているトラックに仁科開発と社名が書かれていたりだとか。

つまり、勿論、そんな事は、東京で大学生となった私にとっては何ら関係の無い事なのだけれど。
そして、例えそういった事、それが何らかに関係するにせよ(例えば家族が嫌がらせを受けるだとか)
この時代に、封建制度の江戸時代でもないこの時代に、大した事が出来る筈も無い。
私の父はごく普通の会社に通うサラリーマンであるし、母は専業主婦だ。
そして両親と弟の住む実家は周り中がうちの家のようにその代でこの町に越してきたような新興住宅街にあるのだ。
特に大した事が出来る訳も無いし、例え出来たとしたって、それは、顰蹙を受けるだけだろう。

それでも。
それでも頭をそういった不安が過ぎったのは間違いない。
いや、言い訳かもしれない。私はただ怖くて怖くて、
だから、あの時私に真っ赤な顔で怒鳴り散らしてきた仁科に逆らうのが怖くて従う理由を見つけ出したくて、
そんな事を考えただけなのかもしれない。

弟が写した私の下着姿の写真を、仁科は差し出してきた。
どうと言う事もない、扉の隙間から写した、私が着替え途中の、
しかもスカートは履いたままで、上半身がブラジャー姿というだけの、写真。
場所だって勿論私は自分自身だから、そこが自分の自室で、
今ではやや物置にされつつある実家の自分の部屋だと言う事が判るけれど、
それ以外の人が見ればシャッターを炊いた訳でもないその写真からは薄位い室内という事が判るだけであるし、
正直言って顔も私の知り合いが見れば判るかもしれない、といった程度にピンボケの状態だった。

弟は、年の差がやや離れているにしては、いやだからこそかもしれない、仲の良い、私の可愛い弟は、
何度も殴られて、お金を取られて、
そして差し出すお金が無くて、その事を理不尽にも借金だと言われ、罵られ、殴られて、
その写真を借金の変わりにとその写真を撮ったのだ。
撮ろうと思えばもっとはっきりとした写真だって撮れたはずなのだ。
それこそ、例えば、お風呂場であるとか。

私は家の中で、しかも大学2年生の夏休みに帰って来た家の中で盗撮などという行為がされるなんて事は考えてもいなかったし、
私は家族に自分の身体を見られる事を、年相応程度にしか気にする方では無かったから、
私がお風呂場にいる時に例え脱衣所に父や、弟が入ってきても
特に何を言う事なんてなかったし、
(脱衣所にいる時に脱衣所に入ってきたり、風呂場にいる時に風呂場に入ってくれば
当然私も年齢相応の反応を示しただろうが、その様な事をする父や弟では無かった。)
だから、例えば脱衣所から風呂場をこっそりと撮る、そんな事くらいは簡単だったはずだ。

もっと言えば、こっそりとでもなく、カラリ、とお風呂場の戸を開けられてパチリと写真を撮られた所で、
それはもう、弟を追い掛け回して、ぎったぎたにしてやるに違いないけれど、
一通りそういった、儀式めいた姉弟喧嘩をした後は、
もしかしたらその写真を消さなくちゃなんて事も私は考えなかったかもしれない。
いや、私はどちらかというとそういうタイプだ。


それを、こんな、おどおどとした、ピンボケの写真に撮ったのは、弟が弟だからだろう。
どれだけ追い詰められていたのか、私には判らない。
私には判らないけれど、弟が、追い詰められて、そうしたのだと言う事だけは判る。

だから。
「バカじゃないの?」
と、言えば良かったのだ。そう一言。
今にして思えば、その時私の態度にやや怯えたように怒鳴り散らしていた仁科にそう言えば、
もしかしたら仁科は捨て台詞の一つでも吐いてとっとと逃げ出していたのかもしれない。

「バカじゃないの?」
と、そう言えば。
そんな写真位、何でもないのだと言えば良かった。欲しいなら何枚でも撮らせてあげるからと。
まあ勿論、そんな写真を撮らせるつもりは無いけれど
(弟が欲しいと言ったとしたら姉として懇々と説教をしてやっただろうけれど)
そんなもの、脅しの材料にもならないのだと言えば良かったのだ。
そして、脅迫をしてきたのだから、警察に言えば良かった。
いや、今だってそうだ。警察に言えば良い。
警察に言えば、正義は為される。
為される、だろう。

検挙率が下がっているとニュースにあったけれど犯人の名前どころか、居所も、それどころか、
その犯人が、私にしている事だけでなく、違法な薬物らしきものを持っている事だって私は知っている。
だから、今からでもそうすれば、
私の、写真は、全て、押収されて、仁科が言うように近所中にばら撒かれる事も、
東京の私の彼氏の家にそれが送られる事も、弟が殺されるなんて事も、
そう、簡単に人を殺すなんて事が出来るはずが無いのだし。
そんな事はなく、正義は為されるに、違い、ない、のだ。

多分。
私の噂は、それでも、広まるのだろう。
弟は、より酷くいじめられるのかもしれない。
でも、仁科が言うように、弟の通う学校には仁科の言う事なら何でも聞くという後輩が、
本当に事故に見せかけて殺すような。そんな事は無いに決まっている。
仁科が言うように、私が無理やり言わされたような事を元に無罪になるような事なんて、
そんな事、絶対に無いに違いない。
それに、仁科が言うように、ヤクザに目を付けられたらおしまいで、ヤクザに法律なんて関係なく、
顔に泥を塗られたと感じたら証拠を残さないように数人の人間を消す事なんて簡単だなんて、
そんな出来の悪い、過度に敵役を過激化した漫画や小説のような事なんて、いやきっと無いに違いない。

でも。

私は立ち止まってしまって、こう考えてしまう。
もし、私が為されると考えた正義が為されなかったら。
仁科の言う事が半分でも本当だったら。
例えば、もっと言えば、懲役1年。だったら。
弟が高校生のうちに、学生のうちに、仁科が戻ってくる位だったら。
つまり正義が為されたとしても、それが私が考えている正義と、少し違ったら。

あのぬるっとした黒目だけが異様に大きい、自我だけが肥大化したような、魚のような目で、
パンパンに張り詰めた腕の筋肉でビールの空き缶を握りつぶすあの男が、
正義が為されて、でも一年でなくてもすぐに戻ってきたら。
仁科は正義が為された事で反省するだろうか。
私の考えている通りに警察に捕まり、裁判に掛けられ、
そして写真もビデオも全て押収され誰の目にもつかないうちに廃棄されて、
刑務所に入れられた仁科は反省して、もう何も悪い事はしないのだろうか。

これも、私がただ怯えているから、そう考えているだけなのか。


@@

「ん、えーと、ごめん、ね。」
やんわりと押し返すと、佐々木君は明らかにがっかりとした顔をした。
通常であれば、2週間前の私であれば、そういう顔をされれば腹を立てていただろう。
床に正座をさせて、説教をしたかもしれない。
「ちょっと、私の身体だけが目当てみたいな顔をしないでくれる?」

すると、佐々木君は、私の恋人である彼は、怒り返す事も無く、
私より一つ年上の癖に、しゅんとした顔をしただろう。
そうすると、私も弱い。佐々木君の、柔らかい髪の毛、優しい顔。
背の高さを感じさせない華奢な体つき。
それが叱られた犬みたいに、しゅんと頭を垂れる様子を見て、
「しょうがないなあ。」なんて言ってしまうのだ。
そうすると、佐々木君は、もう、なんていうか、褒められた犬のように顔を上げて、
とても愛らしい、嬉しそうな顔をする。

というか、そういう手で、私は、誰に古風だの何だのと言われても
結婚するまでは取っておくつもりであった処女を彼に与えてしまったのだけれど。
そして、私がそうはならないと思っていた、彼氏のいる、キャンパスライフを、
週に一度か、2週に一度か、そして時には週に2度、も、恋人とSEXをする
キャンパスライフを送る事になったのだけれど。

しかも佐々木君とは同じサークルで知り合うなんていう、実に手近な、
「君はサークルで凄く人気があったから、付き合えるなんて、僕はラッキーだった。」
なんて可愛い事を言う佐々木君の事を、好きになるなんて、付き合うだなんて、そんな事は考えた事も無かった。

でも、私は、どちらかというとそういう風だから、佐々木君の事を、凄く好きだ。
それは、処女を与えてしまったからこの人と結婚しなければ、責任を取って貰わねば、
ま、順序が逆でも結果が一緒ならいいのではないだろうかといった罪悪感を紛らわせる為の
好きでいなければならない、というような気持ちが全く、全然、無いと言えば嘘になるけれど、
でも、そうではなく、私は佐々木君の事が好きだ。
彼氏がどうこう、と文句を言ったり、それどころか簡単に別れたりする友達の気持ちが、
私には本当に判らなくて、いや、勿論、友達に向けてそんな事を口にはしないけれど。
いや、それに、私にも文句が無い訳でもなくて佐々木君はそうやって二人きりになるとすぐに私のおっぱいを触ろうとするし、
ご飯を食べる時に私はどちらかというと一つ一つの料理を少しずつ摘みながら感想を言い合ったりしたいのに、
もしゃもしゃと一口で食べてしまったりするけれど、

でも、私が作った料理にはかならず美味しいといってくれるし、
私が好きだといったくしゃっとした前髪とその髪型はそのままにしていてくれるし、
それに、おっぱいは、ううん。まあ、それなりに節度を保って触ろうとするのは二人きりの時だけではあるし。

だから、私は、そういう所を全部含めて、全体として、彼の事が好きだ。

だから、今日、その時になって、「しょうがないなあ。」と言えない事が、
初めて悲しくなって、私はぽろぽろと泣いてしまった。
泣いたって仕方が無いというのに。
佐々木君は、驚いた顔をして、それは、勿論きっと、凄く驚いただろう。
いきなり私が泣いたのだから。しかも、声を殺して。
佐々木君は泣いている私に「これだから女は」なんて事を言うタイプでは無い。
ごめんごめん、と言いながら慌てて立ち上がって、私の涙を拭いてくれた。
しかも、凄く、気を使った形で。私の身体に触れないようにして。

そして、謝ったり、宥めたり、首を振る私に面白い事を言ってくれたりして、
それが私には、どうして良いのか判らなかった。
私にはこの、叱ると犬のように反省して、しかもその反省がふりだったりもして、
ずるくって、私を笑わせてくれて、私が泣いたら謝ってくれて、宥めてくれて、
面白い事を言ってくれて、そういう佐々木君の事が、どうしようもなく、どうしようもなく、
大学生になるまでは勉強以外に興味なんてなくって、生徒会の副会長をする位につまりは
教師受けの良い、男の子の誘いなんて全部断っていた、何度か告白された時も
それこそ殆ど考えもせずに機械的な位に断っていた私にとって、佐々木君がどうしても必要で、
好きで、離れられない。

でも「しょうがないなあ。」とは言えなくて、言ってあげられなくて、
それは、私の気持ちの問題だけではなく、仁科にあるべき部分を、
もっと言えば下着の中のあるべきものを仁科に全部剃られてしまったからだと言ったら、
そんな、一種、馬鹿げた、あんまりにも馬鹿げた、現実離れした事を言ったら佐々木君はどう、思うだろう。

私が泣きながらそう言ったら、全てを語ったら、佐々木君は私を罵るだろうか。怒るだろうか、軽蔑するだろうか。
そして、別れるというだろうか。

もしかすると佐々木君は、佐々木君は、佐々木君だから、私を助けると言ってくれて、そして、そうしたら仁科は。
ああ、全部そうだ。
何を考えても変らない。
私は弱い人間で、勉強が少し出来るだけなんて、口が多少達者なだけ。
なんてなんて滑稽な事だろう。

自分が正義を為すどころか、
正義が為されるという保障がなければ、自分の足で動く事も出来ない。
全く滑稽な、まるで、待ってさえいれば誰かが解決してくれるとでもいうような振る舞い。

全く滑稽だと思う。
正義が為されるだなんて。正しい正義が為されるだなんて。
回答が一つだけだなんて、何でそんな事を考えていたんだろう。

部屋の隅に転がしておいた携帯が鳴るのが聞こえてきて、
私は佐々木君の腕の中で無理やりに笑顔を作って、その手から離れた。
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by obtaining | 2010-05-14 10:01 | document

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