Happily Never After その1


「お待たせしました。」
狭く薄暗い店の中央のテーブルの前で私が並々と酒を注がれた杯を持ち、
慣れぬ声でそう言った瞬間だった。
ぐいと手を引かれてバランスを崩す。

「膝の上に乗れよ。それで酌をしてくれや。な。」
ニヤニヤと云う形容がぴったりと嵌る下卑た笑い。
私の顔ほどもある分厚い手がなんだかそれ自体が一個の生き物であるようにひらひらと動く。
汗と酒の饐えた臭いがつんと鼻をついた。
男の声と同時にげはははは、と幾つも響く低い笑い声。

我慢ならない侮辱。
ふざけないで。と3日前の私ならそう言って顔の一つも引っ叩いただろう。
いや、それよりも何よりもこんなじめじめとした酒場に入るなんて事自体が無かっただろう。

男にどう反応して良いのか判らなかった。
並々と酒が注がれた杯を手に途方に暮れるしかない。
暫く考え、コトン、とそれを机に置いて笑みを浮かべた。
私の手を引いた男が冗談でそう言ったのだと、
そう言外に含みを持たせて曖昧な笑みを浮かべて男の顔を見る。

「おおう、見ろよ!やっぱ可愛いらしいぜこの姉ちゃんは!金髪で、きゅっと顔が小さくてよ!」
ニヤニヤ笑いが破願した、という感じに笑顔を広げ男が周りを見渡した。

私を手招いた髭面の兵士は冗談で言っているだけでは無さそうだった。
手はがっちりと抑えられ、ゆっくりと私を引き寄せるように動く。
自然腰が引けてしまう。

「あ、あの、・・・・やっ!」
瞬間だった。後ろから尻を鷲掴みにされ、私の腰がくんと自然と前に跳ねた。
あっはっはっはっと笑い声が広がる。
既に店の中にいる10人ほどの兵士達の殆どが私を見ていた。
自分の行動を揶揄した笑い声だ。私を笑いものにしている声。
恥ずかしさにカッと顔が紅潮するのが判る。

顔を廻す。でっぷりと太った店主のリスクがこちらを見ているのが判って思わずホッとした。
きっと助けてくれるだろう。
「兵士様、この子には他に色々仕事がありますでさあ。」
そんな事を言ってくれるに違いない。
兵士達も酒を出す店主がそう言えば離してくれる筈だ。
ぽりぽりと髭面を掻き、もう一度位はお尻を触られてしまうかもしれないけれど。
そう期待した私の考えは一瞬後に裏切られた。
いや、私がリスクの顔を見たその1瞬だけはリスクも私を助けようとしたのだと思う。
商売人独特の如才ない笑顔を顔に広げながら確かにリスクは前掛けで手を拭きながらこちらに歩み寄ろうとした。

が、カラン、という金属質の音がそれを遮った。
この2日の間ですでにそれがリスクの一番好きな音だという事は判っていた。
リスクが決して聞き逃さない、金貨が木のテーブルに転がる音。
店の一番奥のテーブルの上からそれが聞こえてきた。

カラン、カラン、カラン、カラン。
ゆっくりと時間を置いて音が5度広がった。
奥のテーブルの男が声を出す前にリスクはもう既にその金貨の音の方を向いていた。
いや、リスクだけではない。兵士達にとっても意味のある事なのだろう。
私の手を握った髭面の兵士までもがそちらを向いている。

「なあ店主。一つ提案があるんだ。」
「はいはい、何でございましょうか。」
リスクが間髪いれずという感じに答えた。
リスクには机の上に置かれた大陸共通金貨(1枚で大体100銀貨、つまりは3人家族が2月はパンとスープを3食食べられるだけの価値がある。)
が返答次第で自分のものになる事を判っていたのだろう。

「王国軍、いや、偉大なるリスクール殿下率いる王国第2方面軍がこの街を解放したのは3日前だ。」
「そうでございます。」
リスクが合いの手のように言葉を入れる。
「皇国の圧制に布かれ苦しんでいた民も喜んでいる。」
「そうでございます。」
それは嘘だ。圧制はそうだが、戦争を望む民などいない。
支配者が皇国が王国に変わろうとも何も変わらない事位誰もが知っている。
ただ戦争に巻き込まれて死ぬ人間が増えるだけだ。

「畏れ多くもリスクール殿下はこう仰った。皇国に心酔している民もいよう。
が、決してどの民からも略奪をしてはならぬ。と。」
「ありがたい事でございます。」
リスクが身を縮めながら答えると、男がひゅんと手を振るのが見えた。
これも嘘だった。なら何故街の男が次々と引き立てられ、牢に入れられるのか。
街の周囲に堀と見張り塔を作る為に使役に借り出されるのか。

王国軍が占領した直後に街の人達に命じたのは次のような事だった。
働ける男は王国の為、全員が街を守る為の労働に就くこと。
女は王国の為に家から一人王国軍の為の労働に就くこと。

確かに略奪は起きなかったが意味は同じに等しかった。
いや、それ以上に酷かったのかもしれない。
略奪が起きないと判ったから街の人たちは逃げなかった。
そして男達はその日から全員が酷い労働をさせられている。
私の家からは父と兄が連れて行かれ、
兄は一度帰ってきたが疲れ果てて返事も出来ないほどだった。
父は連絡も取れず、兄には弁当を作って渡したが、目は空ろだった。
病弱な母や小さな妹に働かせる訳にはいかないし、昼間は母と妹達の面倒を見る必要がある。
兵士の宿舎への泊り込みの仕事が出来なかった私に残っているのは
兵士用の酒場のこの仕事しか残っていなかった。

それでも王国軍から給金が出るという話はありがたかった。
男の労働には金は出ないと言う話だ。
少なくとも王国軍がいる間に一家が食べていくに必要な金は稼ぐ必要がある。
酒に酔った兵士の相手は辛いだろうが、多少の嫌な事はあるにせよ
酒と食事を運ぶだけだろうと高をくくっていたところがあった。

「お陰で街には血の一滴も流れず、喜びの声に満ちている。
我々が命を掛けて戦い、この街の民に自由を取り戻したのだ。」
そうだ!と酒場の兵士の一人が叫んだ。それに呼応するようにあちこちから次々と叫び声が上がる。
私の手を掴んだ髭面の男はアイスベルク隊長万歳だ!と赤ら顔に涙を流しながら咆哮した。
奥で喋っている男はアイスベルクという名前らしかった。
恐らく今店の中にいる兵士達の中では最も階級が高いのだろう。
更に言えばこの下卑た男達に慕われてもいるのだろう。

「ここにいるのは王国の為ならこの身体、血の最後の一滴までをも捧げる覚悟の男達ばかりだ。なあ。」
また怒号のような歓声が上がる。

歓声が収まり掛けた時、追従するような笑いを顔に浮かべているリスクの胸元に
ひょい、とアイスベルクと呼ばれた男が机の上の金貨を投げた。
リスクが太りきった身体からは考えられないようなスピードでそれを拾う。
「そんなこいつらが俺は大好きなんだ。命を張って国を守る。最高の男達だ。」
また歓声。
ここで不思議な事に気がついた。男が口を開くと下卑た男達はぴたりと黙るのだ。
兵士の事は判らない。だが、どこでもそういうものなのだろうか。
こう云った誰の言う事も聞かなさそうな酒に酔った男達をそういう風に従えられるものなのだろうか。
しかしそうさせるような雰囲気をその男が持っている事は確かだった。

「そんなこいつらに今日は好きなだけ飲ませてやりたいんだ。勝利の労いって奴だ。」
また机の上の金貨を投げる。
リスクが拾う。

リスクのその鼠染みた動作を見ているうちにすう、と頭から血が下りて来るのを感じて
私はぎゅうと、私の手を掴んだ男から逃れようと身を捻った。
しかし閂に嵌められたように動かない。

まだ頭は理解していない。が、眼の前の男の言葉からは嫌な雰囲気しか感じなかった。
頭は理解していない?この男が何を言うつもりなのか、私にはもう判っているのでは?
私が手を掴まれて、リスクに助けるような視線を送って、それから兵士を煽るような演説をしながら金をばら撒く意味は何だ?
酒場で部下の兵士の機嫌を取るような言動が行き着く先なんて決まりきっているのでは?
手を振り切れば奥に逃げる事も出来るだろう。
恥も後の事も考えずに扉から走り出て町外れまで走ればいい。
次の日には酒場でからかった娘の事なんてきっと忘れているに違いない。
リスクに叱られる位が落ちで、そんな事はどうって事でもないのでは?

が、私の手を掴んでいる私の太腿以上に太い毛むくじゃらの手は私が身を捻ろうが、指を掴もうが離れようとはしない。
私の身体は店の中央のテーブルの前で縫い付けられたようになっている。

「幸いこいつらは育ちが良くてね。酒樽さえあれば、後は自分でやれる。」
リスクの前に金貨が落ちる。
「それ位あれば店中の酒樽を飲みつくしても足りるんじゃないかな。」
リスクが金貨を拾う。ホクホクとした顔でそれを懐に仕舞いながら
「そ、それはもう」と何度も頷く。

「途中で時間だからと追い出されてもつまらないから、今日は貸切として店だけ開けておいてくれないか、店主。後は勝手にやるから。」

私は何度も身体を引いて手を捻った。リスクの顔を見た。が、リスクはこちらなど一顧だにせず金を投げる男の顔しか見ていない。
そしてもう既に何度もその顔を頷かせていた。

「ああ、でもそこの女の子だけはもう少し付き合って貰いたい。
王国の男達は皆精悍だが、彩にはやや欠ける所がある。」
おどけた仕草に男達が笑った。
「この街の美しい娘に一つ、酌位はしてもらいたいからね。勿論、時間分追加の金は払うよ。君から彼女に給金を上乗せしてやってくれ」
最後の金貨がリスクの前に転がる。

「リスクさん!」
漸く搾り出すように出た声など何の役にも立たなかった。
リスクは私の方など見もしなかった。
素早く金貨を拾ってぺこぺこと頭を下げたリスクは視線も合わせようとせずに奥に引っ込んでそれから酒樽を担いできて床の上に置いた。

「残りの酒樽は奥にありますです。私は上に住んでおりますので何かありましたら声を掛けてください。」

リスクがまたもう一度ぺこりと頭を下げた。
ゆっくりと背中を向けて、私の方など見もしなかった。

続く
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by obtaining | 2010-04-19 13:46 | document

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